STAFF DETAIL.

林 利彦

Hayashi Toshihiko

取締役 岐阜支店長 / 家づくりアドバイザー

林 利彦
  • 役 員
  • 建築アドバイザー

PLOFILE

出 身
岐阜県
家 族
妻、息子、娘の4人家族
趣 味
スポーツ(野球、ソフトバレー)
スポーツ観戦(MLB、NBA、NFL)
映画鑑賞、バイク
一 言
建築業界に身を置き30年余り。
経験させて頂いたことを基に「本当に良い家造り」を目指しているうちに、
「家」造りの基本は「愛」だと強く思うようになって参りました。
お客様への愛、ご家族様への愛、人への愛を持って住まい造りをさせて頂きます。

MY LIFE

林 利彦

昭和39年7月26日 岐阜県関市(旧武儀町)富之保に林家の長男として生まれる。当時の家族構成 父、母、祖父(昨年没)、祖母(一昨年没)、一つ下の妹、6つ下の弟。
大工であった父は温厚な性格で本当に大工の仕事が好きだったようで、お尻が軽く、休日も家でじっと座っていた記憶が一度もない。道具の手入れや材料の整理など何かしらいつも動いていたように思う。
母の方は心配性でしっかり者というタイプ。せっかちなところがたまにきずだが、よく母に「友達は大事にしなさい」と言われていたことを思い出す。

少年時代、林家は決して裕福な家庭ではなかったため家族で出かけた思い出はあまりなし。盆と正月に下呂市の母の実家について行く程度でした。
いつも近所の子たちとお宮のそばの広場でみんなで野球をしていたような気がします。野球が出来ないときは大工の父親の仕事について行き、一人で建築現場の木くずで何かの工作を作ったり、お昼の休憩の時には現場に来ている職人さんたちに遊んでもらった思い出があります。物を作る楽しさをこのころ覚え、仕事場に連れて行ってくれた父親に感謝です。

中学は地元の公立校へ。部活は野球部。この時、1学年上の先輩の澤田升男さんと出会う。当時の澤田先輩は成績学年TOP、部活の野球では「絶対この人プロへ行くわ」と思っていた程の腕前。なにより親分肌で実力主義。自分より上級生であろうが下級生であろうが良いものは良い、悪いものは悪いという、当時の年功序列の部活内のタテ社会に於いて異質な考え方に感動する。さらに、努力していることを絶対人に見せず 何ことも平気な顔で成し遂げてしまうところや、目標を決めて努力している人間にはとことん付き合っていく姿に、人生初の「人への憧れ」や物事の考え方を考えさせられる。
「下から上はよく見える」よくこんなことを澤田先輩が言っておられたことが頭を離れません。

林 利彦

その後、関市立関商工建築科に入学。部活は陸上部(中長距離)結構本気で走っていました。個人成績は地区大会優勝止まりだったがマイルリレーでは東海大会まで出場。
ここで、同校同科の澤田先輩と1年ぶりに再会。当時の校内は3年生=神、2年生=平民、1年生=奴隷の超タテ社会の高校。
諸先輩方の服装は短ランにボンタン、髪型はガッチャマンなようなそり込みの方々ばかり。その中で2年生の澤田さんのクラスだけは2年生でありながらすでに「神」でした。「人生は対人間、立場や年齢ではない」そう教えて頂いた澤田先輩に感謝です。

昭和58年、関市内の誠建設(株)に入社。現場監督業、設計確認申請業務などを行い建築法規や施工管理業務の基礎を培う。
昭和61年、美濃加茂市の(株)栄進に入社。バブル全盛期、親族の会社だったこの会社で得た物は私自身の甘えからほぼ皆無。戻れるならこの時間をやり直したい。救いはこの年 大学へ行っていた澤田さんと偶然映画館で再会、三度、澤田さんの人間性に触れ、その日より仕事が終わると毎日毎晩澤田さんの家に入り浸るようになる。
澤田家の皆さま方に感謝です。

平成8年、澤田建設(後のサワケンホーム)に入社。澤田さんの家に入り浸るようになり8年、30歳になり私も結婚したころ、私は澤田さんとのそれまでの関係が好きで、すでに会社を継承されていた澤田さんの所にお世話になると今までの関係ではいられなくなるという思いから、この話はお互い避けてきたと思う。
しかし、この年の4月地元のすし屋にて澤田さんに「おい、トシ(私)。この年になって、もう連れやとか言ってるんじゃなく一緒に仕事やるか?」と言って頂きました。
中学に入学して澤田さんに会って以来、澤田さんのことが大好きだった私にとっては鳥肌が立つほど嬉しかったのですが、自分でいいのかと不安もあり、澤田さんに「本当に自分でいいんですか?」と尋ねたところ「いい!」と即答して頂きました。
この日を堺に「絶対に迷惑を掛けたくない!気持ちを入れ替える!」という決意をし、お世話になることに。これは本当に嬉しかったです。当時、本当に鳥肌が立つ感触今も覚えてます。

ここでの澤田さんから受けた13年間の教えはとても書ききれるものではありません。業務はもちろん、数字、時間、人間性、全てが根本まで追求されていきます。澤田さんの真の教えは「人としてどうか、人間として善か悪か」を判断基準にすることにつきると思います。事実、私は入社した直後会社を潰しかねないミスを犯してしまったことが有りました。その時、澤田さんは私を責めたり叱ったりは一切ありませんでした。但し「人として、人間として」誤った行動や考えをした場合にはとことん、手も出る足も出るで3時間でも5時間でも叱って頂けました。
人としての有り方を今もなおご指導いただける澤田さんに感謝です。

平成21年8月サワケンホーム(オーパス)を退職し、個人として独立。退職後は澤田さんや周りの多数の方のお力添えをうけ、今まで学ばせて頂いたことを基に建築業を営んでいました。
平成26年6月より弊社岐阜支店に入社。
今後は無添加計画の理念、目標を共有し家造りを通して「自我」を通すのでは無く「誠」を貫く覚悟で行動し、微力でも社会と会社に貢献できるよう努めてまいります。