STAFF DETAIL.

瀧ヶ崎 常彦

Takigasaki Tsunehiko

取締役 / 家づくりアドバイザー

瀧ヶ崎 常彦
  • 役 員
  • 建築アドバイザー

PLOFILE

出 身
茨城県
家 族
妻・長男・次男・母親・祖父
趣 味
ゴルフ・釣り
特 技
DIY
一 言
住宅業界に携わり27年。工事管理、営業と経験と知識を活かし0宣言の家「住まいと健康を考えた」本物の家づくりのお手伝いをさせて頂きます。

MY LIFE

瀧ヶ崎 常彦

1970年8月20日 茨城県にて長男として誕生。
両親は、電気工事士で公共関係工事を中心に勤め上げてきた父、母は、パート勤務で故祖母と2つ下の次男も含め5人家族で暮らしておりました。
幼稚園の頃の私は、小児喘息にかかり一晩中苦しい思いをし何度も病院に運ばれ両親に迷惑をかけていました。
小学校入学と同時に少年野球に入団し運動をすることにより小児喘息も改善。
その後、中学ではサッカーを始め運動漬けの毎日でした。
高校通学には2時間もかけて通っておりました。高校3年には、ラーメン屋のバイトでお金を稼ぐ大変さ仕事の大変さを学びました。

社会人になり、測量関係に勤め公共関係の測量業務で毎月出張の毎日でした。主な業務内容は、送電線・高速道路・砂防ダム・下水道など山を登ったり、下水道管の中に入ったり日々忙しい毎日でした。
その後、二十歳の頃に知り合いに誘われローコスト住宅会社に入社。工業化製品(木目調床材・ビニールクロス・サイディング外壁)が出始めの珍しい時代でした。バブルが弾けた後でしたが、当時の若い世代の方でもアパートの家賃並で購入しやすい価格で大盛況の時代でした。
その時期は、シックハウス等F☆☆☆☆という制限はなく新築時に家の中に入ると涙が出るほど目がチカチカしてお引渡し前に窓を開放することが、当たり前と感じておりました。

瀧ヶ崎 常彦

プライベートでは、茨城県で出会った現妻と結婚。結婚を期に妻の実家である福島県郡山市に移住し祖父・故祖母・義理母と同居。その後、長男・次男に恵まれ今現在は、6人家族で田舎でのんびり暮らしております。

仕事では、郡山市に住み始めてから、以前と同じような工業化製品を扱った住宅会社に勤務しておりましたが、その住宅に居れば居る程、体調が悪く、いつも頭痛に悩まされた時期が続いて家づくりのご提案に不信を感じ始めておりました。
そう悩みながら無垢材を使用した家を体感した結果、心地良い快適さに衝撃を受けました。
澤田先生の家づくりセミナーにも参加させて頂き、健康で快適に過ごせる住宅づくり「0宣言の家」「クアトロ断熱」に出会い1㎜も嘘のない家づくりに出会いました。
家づくりの経験を活かし無添加計画宇都宮オフィスから、誰もが健康で安心・安全に暮らせる家づくりのご提案とアドバイスをさせて頂きます。