STAFF DETAIL.

阿部 優

Abe Masaru

取締役 仙台支店長 / 家づくりアドバイザー

阿部 優
  • 役 員
  • 建築アドバイザー

PLOFILE

出 身
埼玉県さいたま市
家 族
妻と愛犬(Mダックス)
趣 味
■建築物を見ること
神社などが多いです。伊勢神宮は20年ごとに見に行っています。
■海釣り
釣るのも食べるのも好きですが、海にいることが好き。
■ゴルフ
ヘタでも大好きです。自然の中を右に左に楽しく走り回ります。
■飲食店探し
自分の趣味に合うお店を常に探しています。
■四輪車の操縦
ガソリンが多いとき少ないときの違いがわかるくらい好きです。二輪車も好きです。
特 技
知り合いではない動物が集まってきます(犬とか猫とか蝶々とか)。
一 言
木造一戸建てを扱って二十数年になりますが、いまだに新しいお家を作ることが楽しくて仕方がありません。

MY LIFE

阿部 優

1971年2月16日、秋田県の八幡平出身の父と、東京都の両国出身の母との間に長男として生んでいただく。姉が一人。
生まれも育ちも仕事も現在の住まいも埼玉県さいたま市です。
生まれた家は木造平屋の借家でしたがとてもいい家で私は大好きでした。特に木の縁側にいつも座っていました。6歳のとき引越しをするのが嫌で泣いたのを覚えています。以来、父が頑張って購入したマンションに家族四人で暮らす。
3年後、今まで風邪も引いたことのなかった父が病気で倒れる。この頃の夢は『階段の付いているお家に住むこと』。

阿部 優

小学校六年生まで毎週日曜日は少年野球をやらせていただく。うまくなろうともせず、ただみんなと野球をすることが楽しかった。平日は友達の顔が見えなくなる夕暮れまで、とにかく目一杯遊んだ。
ある日、遊びの一つとして新聞配達のおじさんの手伝いをさせてもらうようになった。小学校三年生のころです。
忘れもしません、エレベーターなし5階建てマンション1棟につき200円という、当時の子供には高額報酬(夕刊のみ)。後に仲間二人を引き入れマンション4棟まで増やす。月に24,000円稼ぐチームとなり、初めて商売の楽しさを知る。
その後、六年生のとき新聞配達のおじさんが会社を辞めてしまった時、新聞販売店社長より直接今まで通りのエリアで仕事を依頼される。今思えば小学生に仕事を頼んではだめでしょう。このビジネスは中学校一年生まで続いたが部活動(バスケット)が忙しくなったころ、仲間の弟(8歳)に事業継承して終了となった。
とてもよい社会勉強になり私の人生に大きな影響を与えたのは間違いない。

中学一年生のとき、母に初めて寿司屋に連れて行ってもらう。あまりのおいしさにビックリ。 粋な大将と話も弾み、中学を出たら寿司職人になると本気で母に宣言したほど。 小学校の勉強を全くしなかったくらいなので、高校には行かないのではと漠然と考えていた。 ちなみにそのお寿司屋さんは、大宮駅東口の『東鮨』で今でも会合などで利用している。

阿部 優

結局、高校生になるとアルバイトに没頭。もちろん飲食業です。いろいろな飲食店で働くことが楽しくて大学まで続く。
子供のころから好きだった飲食業を仕事にしようと考えていたころ、住宅関連の仕事はどうかと真剣にアドバイスをくれた常連のお客様がいた。そういえば子供の頃、二階建ての家に住むのが夢であったことを思い出した。近所で建築現場があると何時間でも見ていたっけ。
ここで方向転換し、住宅販売会社へ就職。以来ずっと夢の家に携わっており、この仕事が好きでたまらない。
40代となり、自分の生まれてきた意味とか自分の役割をとても考えるようになった。自分は何の役に立ち何を残すのか。
これからもご縁があり、関わりのある方のお役に立てれば何よりです。

あの時、よきアドバイスをくれた常連のお客様は弊社代表の平塚(当時28歳)です。感謝。